実刑 サラリーマン 年収1000万円 部長



こんにちは☆のっち☆です。
人間、長生きすると良いコトばかりではなく悪いコトと知っていながらついつい手を出してしまうこともありますよね。例えば、買う気もないのに試食したり、会社の備品を私物化したり… 。
社会に出るといろいろな誘惑が至る所にありますが、今回はそんな誘惑に負けて最後には実刑判決まで受けてしまったYさんのお話をしたいと思います。

MARCH出身の1,000万円プレイヤー


今回お話させていただくYさんは関東の私立大学群であるMARCH大学の出身者でした。MARCHとは明治、青山学院、立教、中央、法政の5大学を一つのグループとして示す通称で、早慶上智に次ぐ難関大学郡です。そんな学力優秀なYさんがそんなことで??と考えさせられてしまう結末になる、ノンフィクションストーリーです。

Yさんは御年55歳。東京郊外に大きな戸建てを所有し、子供も三人。奥さんは専業主婦で、Yさんの年収は1,000万円でした。

Yさんのお仕事はメーカーである勤務先の独自商品をPRすることを担当していました。その部署名は“プロモーション部”。毎週週末には出張して講演してもらう講師と共に全国を行脚するお仕事です。毎週末出張する勤務形態なので、他部署の社員からは敬遠されなかなか社内からも人員の補充が難しい部署でした。

スタッフから15年で部長へ


Yさんがプロモーション部に着任したのが35歳の頃。当時は業界的にも有名な方が部長職をしていて、その人の補佐として配属されたそうです。5年後、その著名な部長が体調不良で退任。以降はYさんが課長としてその事業を継続していたそうです。

課長職に就いたYさんは不人気部署で社内からの人員補充が難しいこともあって、パート社員と派遣社員で事業を運営していきました。それから10年、Yさんは粛々と業務をこなし部長職へ就任します。社内的にもこのプロモーション部の事業はY部長でなければ運営できないと思わせるほどの豪腕ぶりで、当時の役員も彼の言い分には一目を置きY部長のやり易いようにと配慮をするほどでした。

少しずつ社内から反発が生まれる


重要な事業を一身に背負うY部長ですが、社内での協調性はゼロに等しいものがありました。
商品を企画する部署から「講師の〇〇先生と新しい商品開発を行いたい」という申し出にも「時間がないから無理」の一言。企画担当者が「そこをなんとか」と食い下がると「そんなに〇〇さんと話したければ、別の時間に自分で交渉しろ!」と一喝する有り様でした。要するにYさんは部長職でありながら会社の発展には興味がなく、自分さえ良ければオールオッケーな考えだったわけですね。

また、この頃になるとYさんはプロモーション部事業についてBLACK BOX化を図っていました。社内の誰も知らない、誰も分からないという状況を作り、オープンにさせようとする人間には相当な圧力で潰しにかかっていたものです。そんな状況になるとYさんは会社事業の一部であるプロモーション部事業について私物化していきます。いま振り返ると、この時のY部長の事業の私物化に会社が早く気づき防衛策を講じておくべきタイミングだったんですね。


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会社組織でありながら一つの事業を掌握できる能力を持つYさん。彼の努力は並大抵のものでは無かったのではないでしょうか。家庭を犠牲にし、事業を一身に背負うプレッシャーに耐えてきた功労は会社としても表彰に値するものだったのかもしれません。
そう、彼が定年までしっかりと勤めあげていれば…



後編につづく



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